かつて母の死後、様々事情があり私の姉は「霊能者さん」に頼ることが増えていました。
ある時、友人に紹介され、とある醍醐派真言宗の僧侶の方にお世話になっていると聞きました。
高知県にある寺院の、霊感をお持ちのご住職様であり、私自身は何一つその方に頼むところは無かったのですが、一度同伴し伺うこととなりました。
そのご住職様を問題視する点などはありませんでしたが、小さな本堂に上がらせていただいた時、私はただ「ここは呪の世界だな」と思いました。
姉はその場所を「清い」、ご住職様を「凄い」と言います。確かに魑魅魍魎や悪鬼悪霊の類は寄れない気配ですが、何故か奥には強い「陰の気」があり、「呪の世界が成立してきた過程」を感じたのでした。そして四国という土地柄もあるのか、何か独特の信仰感も混じっています。
古典のヴェーダとして「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤージュ・ヴェーダ」の3つがよく挙げられますが、後にヴェーダ(知識の意、聖典)として認められたものに「アタルヴァ・ヴェーダ」が存在します。
こちらはほぼ「呪文」で構成されており、無病息災や健康長寿、愛の獲得や生活繁栄、福利や敵の調伏なども含め、あらゆる衆生利益のためのバラモンが扱う祭典儀礼の呪法が纏められています。
医学書としても扱われ、「アーユルヴェーダ」の元ともなりました。
昔は「吐き気がするほど濃い🤮」と、読むことも受け付けませんでした。
このヴェーダの源は民間信仰に根ざしたものであり、ヒンドゥー教呪法に受け継がれ、チベットにも伝来し、ギリシャ、中国にもその思想の影響は波及しました。
そして日本密教の呪法の源流がそこに見受けられます。
一切有情の安楽のため、「護摩の諸事業によって最上の息災をなし、安楽を与え、財宝を得させ、目的を成就させ、邪見に堕ちた一切有情を無くす」という、大乗仏教の「菩薩行」として仏教に取り入れられ、空海が日本に持ち帰られたのでした。
特に真言宗における修業の目的は「悉地を得る」ことが重要視されます。悉地とは修業によって得られる「成就」「功徳の完成」を指します。
修業成果は「願望成就」「悟り」「神通力」等です。
そのお寺様に訪れた後、姉はご住職様に父や私の「ご祈祷」も依頼し、私方へは「祈祷札」が送られてきたのでした。
その後私は「憑依体験」をすることとなりましたが、このご祈祷札は憑依体を全て吸っていくのです。
「楽」にはなりますが、私は「この世界領域の出来事か。」と、ご祈祷札をお返しすることとしました。
そして真言宗僧侶として修業された方の中には、私に来る者に対して高い解像度で把握される方もいらっしゃいました。
四国に多い「拝み屋さん」もまた、呪詛合戦など行っていらっしゃいます。
「大欲は清浄なり」の境涯を真に理解するための修業の筈なのですが。
お陰さまで、日本の「呪いと祝い」の意味もよくわかり、密教が馴染む土壌があったのだなあとつくづく感じておりますm(_ _)m