仏教にも、道教にも「法身」という概念があります。
現在私はただ、正中心練磨の練功を行い、生まれ病み老い死んでいく自身の健身を試みていくのみです。
しかしこれまでの自身の経緯や学んだことなどもあり、世間には「霊的不調」を生じる方々もいらっしゃり、1人の事例として何かしら残せると良いなと思っております。
仏教用語での「法身」とは、肉体ではなく「真理そのもの」を身体とする仏のあり方を示しています。
法=仏が悟った真理、教え
身=それを体現するあり方
「法身」「報身」「応身」の3つのうちの1つですが、それぞれは以下の概念となります。
①法身 真理そのものとしての仏
②報身 修行の功徳の「報い」としての仏
③応身 衆生を救うために現れる歴史上の仏
(生身のお釈迦様や仏像が応身にあたります)
仏教の歴史において、この法身への理解も変化してきました。
初期仏教や、自身の解脱を重視する上座部仏教等部派仏教(小乗)においては仏の説いた正法や十力などの「功徳の集まり」が「法身」とされました。
サンスクリット語では「マハーヤーナ(大きな乗り物)」、大乗(自分一人の悟りだけでなく一切衆生を救済し、成仏させることを理想とし、多くの人を悟りへ運ぶことを目指す立場)仏教においては、肉体は滅びても、悟られた法は永遠に存続するとし、その永遠の法を「身」とする仏=法身と捉えるようになりました。
日本仏教の場合、浄土教では阿弥陀仏の根源には形無き真理としての法身があると解釈されます。
真言宗では大日如来を法身仏とし、「法身説法」(法身自らが説法すること)を説きます。
真言宗においては、お釈迦様は数ある如来のお一人に過ぎず、天台宗では大日如来の化身です😑
華厳経においては、法身である毘盧遮那仏(ヴァイローチャナ仏)に遣わされて受肉したのがお釈迦様、或いはお釈迦様が毘盧遮那仏の化身とされます。
禅においては道元禅師が、「ダーマ(法)はそれぞれのうちにある」と説かれました。
「真理のあるところ=法身」です🙂
初期仏教など、パーリ仏典長部などでは音楽、スポーツ、各種見世物などは戒められています〜✨
仙道における「法身」についてもまた触れます。