自練魔🥸

2026年04月22日 23:02

自練魔🥸

うーん…(-"-)
「数字」だったり「幾何学」だったり、「現代物理学」だったり…

普遍性との近似値を求める検証を公にする、というのはなかなか難しい作業です💦

ベクトル平衡体ベクトル平衡体と繰り返し。
ベクトル平衡体という「固定形」のイメージが生じて練功してしまうと固定化し居つきます。
分かる方が見れば
「何?この中庸・均等みたいな居つき…(-"-)???」そんな、おかしなことになります
😑

幾何学は、練功や動きの中で現れるような、消えるような、まるで量子ゆらぎのような、生きた「動的」なものです。
図や立体として美しくはありますが、視覚的に分かりやすく「説明」したものに過ぎません。
科学も数学も、往々にして「現象の後追い」なのです。


私とてコースの段取りを愚直に行い、楽しみながら、時に苦しみながら、何かしらの普遍的「符合」を見つけました。
そして現代までの知恵の集積と合致する、ということは私にとって「輝く快✨」となるのです。
(あ、ベクトル平衡体とは、フラーが「中庸って計算上こんな感じ!」と苦労の末創られた、優れたものです🙇‍♀)



元々、修業の世界は、「体験して知れ」の密教的、秘教的ものでした。
精神世界や「道」というのは危うさや闇も包括しており、それなりに訳有りであったり、生への絶望を経た入門者なども「追求する」、そんな聖域だったのです。
否応なく導かれ、入らざるを得ない、そんな人たちもいます。

そんな世界を「検証、保証」する無粋を思います😥


釈迦の時代でも、「修業」は「バラモン」の特権でしたし、「日本仏教」の、初期天皇制政権時代において。
天皇として最初の出家、受戒をしたのは第45代、聖武天皇だと言われています。
その後、ある程度の年齢に達した高貴な人々にとっての「慣習」のようにもなり、「信仰の道に入ること」自体がちょっとファッション的要素を持たないでもない「形」となっていました。
形から入る文化は昔からありました。ですから、ポップカルチャー、娯楽的側面を持つ現代スピリチュアルもまた、一つの入り口や「幸福」の求め方として、「中道」、「善いこと」と肯定もします。


👺・、|

正中心・とは「全て」でもあるのですが、「自分以外何も入れない点」であり、垂直軸 | とは個、孤の確立、究極の自立を磨くラインでもあります。
心理学において、理想的な「個の確立、個性化、成熟」というものは、「依存」→「自立」→「適切で成熟(縁起やセルフコントロールを知るあり方)した相互依存」と言われています。
そして求道者であれ、そうではない方々であれ、肉体的個としての充足や幸福があって欲しい。個人的にそういう願いがあります。

未熟ながら・、|を追求する者として、検証を通しその垂直軸の横広がりの裾野、そこへより広く、どうグラウンディング出来るだろうか、という試みもしております。

🌱0×∞=Any Value🌱

そんな夢も見て。
脳が、正中心、そして身体を信頼し、統括・支配の権限を緩め、手放されてゆくのを眺めつつ
🧠✨😊

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