身体

2026年08月24日 23:24
カテゴリ: 練功精神

身体

三木成夫先生の生命形態学で、2つの系統「植物性」と「動物性」のそれぞれの肥大化組織としての心臓と脳、この2つの器官が「心の働き」と「頭の働き」として象徴的に語られたことに触れました🧠

人が生きる上で、「理性」は必要とされます。そして個人的な情動・感情や欲求と、外的要求や社会的に適切、理想とされる行動とのギャップに葛藤や不都合が生じることもあります。
「理性」とは何でしょう🙂
「道理に基づいて物事を筋道立てて判断・推論する人間の能力であり、感情や欲望に流されず、何が正しいか・妥当かを考える働き」とされます。

近年はこの「判断」や「行為」を行う上での、理性だけでなく感情や直感の関わりと重要性も、科学や心理学、多くの思想で指摘されています。

認識の主体は身体そのものであると、劇作家・山崎正和先生はご著書「リズムの哲学ノート」で述べられました。

「身体の営みに対応して現象が顕れるわけだが、この現象と身体とは主客の関係にはなく、両者のあいだに主導権の前後関係もない。

たとえば身体が『もの思う』ということは現象に目を凝らすことであり、耳を澄ますことだろうが、いずれも目や耳が思わずしてしまう反応であって、ここには能動性と受動性の前後関係はまったくない。目を凝らし耳を澄ますのは、何かが見えたり聞こえたりしたからであり、その逆もまた真であって、認められるのはいわば『誘いだされた能動性』というべきもののほかにはない。」

「哲学の知をこのように解釈しなおしさえすれば、哲学の自由の問題はおのずからすべて解決されるのは、いうまでもあるまい。認識の主体が丸ごとの身体であるということは、認識の過程でたとえば理性と感覚の対立が起こり、感覚が理性の自由を妨げるといった恐れを根こそぎ排除してしまう。

また『する』ことがそのまま知ることだとすれば、認識の到達可能な世界は大きく広がり、知は暗黙知や純粋持続を直接に把握する自由を獲得するだろう。そして何よりも哲学はこの世界の根源的な原理であるリズムを感じとり、リズムとともに生きることによって、その働きを如実に知ることができるはずである。」

西洋哲学、科学の流れは前世紀において、神経科学的にも意識から感情へ、精神から身体へと、意識、心の「源」の研究が転換されてきました。
しかし東洋思想を背景とした文化、慣習を身近に感じて育った日本人、また武術家さんや療術家さん、ダンサーさんや音楽家さん含め文化芸能に携わる方々、宗教家の方々などは特に、これらの事は言わずもがなの身体知としてご存知なのではないでしょうか。

「脳の機能」の部分的役割の臨床や研究が明らかとなるにつれ、「身体まるごと」や「身体を含む社会的ネットワーク」の扱いが、皆のQOL向上に寄与することが示唆されています。
また症例も上げて、より良い「生」のために出来ることを考えたく思います🙂

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