上死点と下死点、また吸う→吐く呼吸のあわいは別次元が立ち現れやすいところですが、呼吸を見ている上ではここは「魔が差しやすいところ」でもあります。
瞑想における止(サマタ)は散漫を集中に導き、観(ヴィパッサナー)は現象の評価無き観察を行うものです。
呼の臨界、また吸の臨界では一旦止観も途切れやすく、ここの観察に途切れがないことで面白い現象が展開されます🙂
「拍子は反復し、リズムは更新する」とした心理学者ルートヴィヒ・クラーゲス先生、「個体発生は系統発生を模倣する」生物学者ヘッケルの「反復説」を「リズム(生)の変容想起」として綿密に研究された解剖学者、発生学者の三木成夫先生、このお二方の哲学は私の若い頃の宇宙観や生命観、また時空観にも影響を与えました。
何事も型から入るものは多いですが、拍子は型であり、リズムは動的な「流体」と言えます。
呼吸もまた周期性、規則性を持ちますが常に一期一会、同一ではなく、長さや密度を円環的に流動しながら变化いたします。
食と性、生命の第一義はこの波にあります。
クラーゲスは宇宙の根本原理を「波動、律動」としました。著作「リズムの本質」の中に、拍子が同一者の反復だとするならば、リズムは類似者の再帰だといわねばならない。」「有機体においてはすべてが更新するのであって、反復はしない。反復は計算しうるが、更新は評価しうるのみである」とあります。
リズムには更新や多様な展開の自由とゆらぎがあります。
三木先生もまた、宇宙根源現象としての「螺旋」「リズム」について述べられています。
三木解剖学からみた生命思想についてもまた触れます😊