空海が日本に持ち帰られた解脱へ至る教理には、「梵我一如」の思想の影響が色濃くあります。
こちらは瑜伽、ヨーガの基盤であるインド思想、ヴェーダ哲学における究極の悟りです。
梵(ブラフマン、宇宙の根本原理)
我(アートマン、個人の内なる根源、真の自己と霊的原理、魂のようなもの、真我)
梵我は同一であり、人間と宇宙は本来一体であることを意味しております。
ヨーガ学派の根本経典「ヨーガ・スートラ」にあるように、心(チッタ)、その作用の静止を、行を行いながらブラフマンとの融合、同一化を目指します。
現代ヨガにおいてもその思想的土台があります。
聖音「オーム」
この言葉は不滅であり、全てであるブラフマンを指します。
古代インドの文化全体には、言葉(サンスクリット語)が宇宙であり、また形作るという思想がありました。
ヴェーダ聖典に基づく祭祀において、神官は一音の狂いもなくマントラを発します。
発声は宇宙秩序を維持し、神々を動かすエネルギーとされました。
その後、世紀を超えて様々な思想が起こりましたが、この「聖音」は、発せば時と共に消えゆく「音波の減衰と消滅、音の粒子」の背後に、意味を即座に顕現させる「メロディのイデア(楽想)」が存在し、そちらが不滅の実在であるとの思想が現れます。
これを「スポータ論」といいます。
このスポータ論は空海の思想である「声字実相」に通じます。
「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり。」こう説かれました。
空海留学当時より少し前から、インドではシヴァ派、シャークタ派等のタントラ思想が興隆し、火供、マントラ、観想、印契などの儀礼体系も広く行われ、これらは元々ヒンドゥー教内における密教的秘儀です。
仏教との混合も興っており、それをいち早く取り入れ、「空、菩提心」から「仏教哲学」として再構成されたのが空海でした。
大日如来は宇宙誕生以前の光であり、また「宇宙」そのものの根本原理であり、また純粋意識であり、全ての現象そのものであるとされます。
お釈迦様の元々の瞑想法もまたヨーガがら始まっており、仏教において「瞑想法」は「三昧」「三摩地」「禅那」「禅定」をもたらし、要は「止観」、即ち「瑜伽行」です。
お釈迦様の悟りは無我であり、梵我一如ではありませんが、瑜伽行自体が「善」であるとの肯定は、「法句経」の中で少し触れられています。
瑜伽行において「止」と「観」が同時に起こることを「双運」といい、主体の認識作用が「識」だけになることを、「唯識」と呼びます。