ほぼ毎日の帰り道、桜並木と高瀬川に癒されながら歩く木屋町通り。
鴨川から分流し平行して流れる人口水路、禊川から取水され、江戸時代初期に運河として開削された高瀬川沿いの通りです。
高瀬川沿いに北は二条通りから、南は七条通まで。2.8kmほど続く木屋町通りは桜の名所でもあります。二条の一の舟入辺りから、五条まで楽しめるスポットです🌸
🛶一之船入🛶
江戸時代には多くの藩邸が並び、今も幕末から明治維新にかけての史跡も多く、石碑もちらほら。
当時が偲ばれます🙂
16世紀、京都は近代都市として発展する中、家屋やお寺の建設など木材需要の高まりがありました。
火災で消失しましたが、京都にもかつて秀吉公が計画した、大規模な大仏殿がありました。
木材流通経路としての高瀬川の開削を行い、この大仏殿建立を成功させたのが豪商、角倉了以とその子、素庵です。
運河建設は京都の全般的な経済、文化発展に寄与しました。日本文化の礎を築いた影の立役者です。
浅い運河でも運搬出来るよう、底の平らな細長い船を用いましたが、これが上の写真の高瀬舟です。
家屋だけでなく、日常の燃料や、様々な道具の材料としても木材は必需品であり、需要の増加とともに運河沿いには木材問屋や材木商が軒を連ね、最盛期には約700人の曳き子と160艘の高瀬舟を有したといわれます。
高瀬川に沿った通りは、やがて木屋町と呼ばれるようになりました。
東海道の終点である三条大橋にも近く、交通の要所としても賑わい、商人や旅人も増え、食文化も発展していきます。
鴨川と木屋町の間に作られた花街が先斗町です。芸妓さん、舞妓さん文化も発展していきました👘
江戸時代中期には料理屋・旅籠・貸座敷などが建ち並ぶ遊興地になり、幕末には勤皇志士などが密会に使うようになり、坂本龍馬・桂小五郎らの足跡が多く残されています。
現在、高瀬舟は一艘だけ常に係留されており、桜の時期には舟遊びも行われます。
現在は繁華街としての木屋町、三条以南はかなり繁雑ですが、北に向かうに連れ落ち着いた趣の上木屋町になり、一息つけるようになってきます^^
今の桜の開花時期だけ、ふわ〜っと優しい、独特の軽さに界隈は包まれ、とても心地良く✨
梅や桃も暖かく華やかですが、桜はまた特殊な作用を持っていて、別次元に誘い込むような「涼やか、儚げで可憐な魔力」がありますね🌸
昔話では狂気の象徴として。桜の力によって気が狂う者、鬼になった女、そんな物語がたくさん😊
暖かくなってきた春の夜を、色々楽しまれてください🌸🍶